東備大家の不動産活動日記

40代サラリーマンをしながら、副業でコツコツ不動産を営んでおります。DIYは苦手だけど残置物には萌える変わり者大家。大家業で色んな方とのふれあいを楽しみに活動しております。

転機

こんばんは。東備大家です。


2日間何も食べれない生活でお金の大切さを学んだ私。

それから2年ぐらいは本当に家→仕事→家で休みは中古の激安のレトロゲームで遊んで過ごし、食事もコストだけを意識して体のことも碌に考えずギリギリの生活をしていました。

思い返せば、この頃の生活で物を持たない性格が身に着いたのだと思います。



そんな私にも彼女が出来まして、当時食材を持って遊びに来ては料理を作ってくれていました。

今から考えると感謝しかないですね。



そんな中、節約だけでは限界を感じながらも、当時会社は副業なんてもってのほか、バイトも出来ず。

「こんな収入で生かさず殺さずもええとこやな!」と思って過ごしていたんです。年功序列の時代はこんなもんでした。

当時の価値観は、時間<<<<<お金 でしたね。




そうして2年程経った4月、私の人生を変えるきっかけを下さった恩人Oさんがお店に配属されました。

このOさん、うちの会社で営業のインストラクターをされてた方でして、最初の数か月、一緒に仕事をしつつ普通に会話をしていたんです。

うちの会社は当時の窓口は、業務>営業が評価される、おかしな会社だったのでまぁまともに窓口で営業をする感覚を持ってる社員がいないんですよ。




それを見ていたOさんがある日、店長に

「〇〇くんを営業に回してもらえませんか?」と直談判。

最初の4年間は「あいつは絶対に営業に回さん」と言っていた店長を説得して下さいました。

そのおかげもあって、業務→営業へ配置転換。

これが私の人生を変えた1つ目のきっかけでした。



最初に営業をするための関係業務を1月程教えていただきながら過ごしていたある日

Oさん「〇〇くんは、営業は好きか?」

  「お客さんとお話するのは苦にならないですね」

Oさん「君は何の為に営業するん?」

  「営業したら手当がもらえるんですよね?だからお金の為に」

Oさん「何をモチベーションにするかは人それぞれじゃから頑張りなさい」

とか言いながら目の前でどんどん契約を決めていくんです。

営業が出来なかったら、また貧乏な業務に戻されてしまうのを恐れていたので、必死でどうやって契約するのか考えながらそのOさんの姿を横でお手伝いしながら見ていて、

「この人すげ~、何でこんなに出来るんじゃろ~?」と思っていました。



ある日、私はOさんの話をまずはマルパクリ作戦でやってみよう!と思い、

ノートにお話している内容をそのまま(トーンの上げ下げまで意識して)

完コピすべく書き上げました。

話の内容なんてさっぱり分かってませんが、これをそのままコピーしたら出来るんじゃね?と思ったんです。それぐらい話法が洗練されてたんです。




その後、「マルパクリ作戦」でOさんの3~4割ぐらいは契約が

出来るようになり、

(それでも窓口ではOさんの次に出来る人、どんだけレベル低いんよw)

支店長も、「〇〇くんを営業に回したわしの判断が良かったな。」

(あんたちょっと前まで絶対営業に回さんゆ~とったがな!)

となって、私の営業生活が始まりました。



次の月、給料を見ると・・・


なんかえらい給料が上がっとる!!!

手取りで15万ぐらいに増えてたんです。

当時、業務部門だと基本給のみが入ってきて、サービス残業なんて当たり前の時代でしたので、手取り10万からようやく11万ぐらいに上がった状況でした。



そうして、仕事をしながら営業で副収入?を得るという会社公認の収入源を得たんです。

そして1年後のお話を次回は致します。

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